今日は、友人とお約束していたとっておきの旅行に出発。とはいっても、旅行前日に大幅に書き加えをしたので、「2日間」となった。
ルートは3月23日 東海道線→身延線→中央線→小海線→しなの鉄道→JRバス→鉄道文化村→信越線→湘南新宿ライン
→ムーンライト
3月24日 →羽越線→米坂線→奥羽線→東北線→磐越東線→常磐線→散歩→山手線→東海道線 赤字・・・初めて乗る路線
3月23日
この旅行の最初の出迎えは、富士山と0分咲きの桜であった。 雲一つ無い、最高の条件下で、旅行に出発した。
富士川に沿って、どんどん北上していく。
あまり大きさに変わりが無いこの大きな川は、とても水が綺麗だった。
どうしても窓が開かないのは残念だが、ガラスは綺麗だったので、ありのままの風景を見ることができた。
身延線には、小さい規格のトンネルがあり、国鉄時代からモハ62のような特殊仕様車を作ったのだが、313系は平気らしい。
甲府から小淵沢までは、この115系に乗る。
・・・・編成・・・・
クハ115-1512
モハ115-1011
モハ114-1042
モハ115-1076
モハ114-1140
クハ115-1005
今はどこでも走っているが、もうそろそろ貴重になってくるか。 よくまあ30年以上がんばっていると思う。
そう、小淵沢のあたりは、よくまあこんなところに線路を敷いたものだと感心するところである。谷間のほうを観察してほしい。
小海線は、小諸から乗るほうが面白いと聞いていたが、都合で小淵沢から。
どんどん標高を上げて行き、野辺山からはゆっくり下る。
途中で鹿の3匹組に出会い、列車は緊急停止。 事前に注意の放送が流れていたので、乗客は驚いた顔をしなかった。
鉄道標高日本一の地点付近で撮った、ランチパック。
パンクするかと思った。
後ろに見えているとおり、クロスシートで旅行向けである。
この写真、後日 綺麗だと思って見ていたら
顔のように見える部分があることに、家族が気づいた。 皆さんもそう思うのではないだろうか。↓
しなの鉄道は、ただの115系であったので、省略させていただく。
横川にある、鉄道文化村。数々の歴史的な車両が展示されていて、見ごたえがある。
やはり手で触れるところにあることがポイントである。
このあと、ニセモノトロッコに乗ろうかと思ったら、運転終了でガッカリさせられた。
くれぐれも細かな時間には気をつけること。
閉館時間までいると、横川ですぐ接続する電車が来るのでとても便利である。
これから、時間が余るので湘南新宿ラインで一旦国府津まで戻り、それから新宿に引き返す。
ムーンライト。この車両もいつまでもつか分からないが、寝るときの気分は格別である。
一生に一度は夜行列車もおすすめ。
といったところで、今日はおやすみにします。
3月24日
友人に起こされたら、次はもう新潟であった。大急ぎで支度をし、車両から出た。
朝が早すぎるので、一旦新津まで行くことにした。新潟のコンビには開いていなかった。
新津からのキハ110。これからこの形式にはさんざんお世話になる。
羽越本線は、新津から新発田間に乗ることで全線制覇となるからわくわくしていた」。しかし眺めはこれといった特徴が無く、あまり楽しくなかった。
米坂線は、またもやキハ100系列、キハ111。
下の写真、
貫通路部分に着目してほしい。
米坂線
どんどん山の中に入っていくのが前半。
駅名から見て、ここが峠。
平地を走る
のが
後半。
米沢まで、小国、羽前椿、今泉の駅で長時間停車。実にのんっびりした米坂線であった。
つぎの目標は磐越東線、そこまで向かうには新幹線と701系に乗らないといけない。
郡山駅にいたタキ43000のトップナンバー。
磐越西線
こちらもキハ110なので写真は省略する。
眺めは、いわき側最後が一番よい。
いわきに着いたら、久ノ浜へ向かう。
いわき駅の
駅銘盤
なにかおかしい。
三叉路のはずである。
久ノ浜は、あの津波によって大きな被害を受けた地域があり、そこに行った。あまりのひどさには、被災地に3回目となった僕でも、言葉が無い。
写真は、載せないことにする。
久ノ浜駅。
地震によって土台などにひびが入っていた。
このようには見えても、有人駅。
付近の地図
かえりは、友部までは普通、そこからは特急で帰った。
かなり混んでいて、さらに東海道線の通勤電車を加えたので、旅行の疲れがたまりすぎてしまった。
こういうのこそ旅というものを実感できるところではないだろうか。