2014年5月アーカイブ
箱根への玄関口として、賑わう 小田原。
10年位前までは、よき古き時代の駅舎が残っていたのだが、立て替えられ、新しくて綺麗なものになっている。
小田原駅時刻表 24.3.17改正
小田原駅時刻表 24.3.17改正
小田原駅時刻表 25.3.16改正 小型
小田原駅時刻表 25.3.16改正 大型
表
裏
小田原駅時刻表 26.3.15改正
小田急小田原駅時刻表 24.3.17改正
小田急小田原駅時刻表
小田急小田原駅時刻表 25.3.23修正(土休日のみ)
小田原駅スタンプ
昭和49年
キャンペーンがない古いスタンプである。
昭和35年にセメントで天守閣が新築されたが、
それが彫られていないので、設置は昭和30年代前半か。
小田原駅スタンプ
昭和50年頃
DISCOVERの文字の下に線が入ってないので、
比較的新しい。
このころは小田原提燈は有名ではなかったのか。
この間にも何種かあり。
小田原駅スタンプ
24.8.3押印
新しいはずなのに、いまはない様だ。(26.4確認)
以上不現存
設置場所:改札へ
インク:今は ◎
押印日:2012.8.3
いつも観光客でにぎわう熱海。 玄関口の熱海駅を紹介する。
地図
24.3.17改正
熱海駅時刻表
25.3.16改正
熱海駅時刻表
交通新聞社製になってしまったのが残念。2色刷り。
DISCOVER-JAPAN 熱海駅スタンプ
大分図案が簡単な頃。
熱海駅スタンプ
「団子っ鼻」が強調されすぎていて、変。
熱海駅スタンプ
設置場所:3番線事務所内
インク・・・〇
押印日・・・2013.10
こちらは現役である。(保存?)
「熱海駅」の字は最後まで変わっていなかったのだが、小さな悪品質スタンプが登場。
熱海駅スタンプ
設置場所・・・改札窓口へ
インク・・・〇
押印日・・・2013.7.12
これのほうが先に劣化しているような・・・
5月3日
今日は家族が計画した山登りと赤沢宿の旅行に出発。
7:40頃家を出て、10:40頃早川町へ突入。
まずは山菜祭りへ。
大変な賑わいで、活気があるのだが、今年は山菜の収穫量が少なかったらしく、長野県から持ってきているそうだ。
天ぷらソバを食べ(五百円)満足。
人は1000人以上来ていそうである。
ただ注意なのは、値段。
実際に、ジュースを買おうとして、一つ目のお店は300円、自動販売機は120円、二つ目のお店は100円 (サンプル:mistio)
であった。
一通り見たら、川原で、パンを食べ、出発。
地図↓
次は、廃村に向かう。
ここはもともと大きめな集落があったようだが、2キロ位まわりに、二分して少しだけ人が住んでいる。
いろろと生活のあとが感じられた。
このあとはすぐに赤沢宿 江戸屋へ。
ここは、71歳と90歳のおばあちゃんが管理していて、
さまざまな昔のお話を聞かせてもらった。
建物は、明治初期の建築。
着いたらカメラだけ持って、お散歩へ。
この写真の、中央大きな屋根が元 大阪屋。
さらに右に行くと
もともと沢山宿があったらしいのだが、今は1軒のみ。
つい20年前くらいは6軒あったという。
残念である。
ちなみに、江戸屋では、昔より仕事が忙しくなったらしい。
問題や注文がすべてそこに集まるからである。
江戸屋は、建物がダメにならない限りは続きそうであった。
現在と昭和中頃の写真(同じ地点から)
ほとんど変わっていない。この前の2月の大雪では、2mも積もったらしいが、壊れたのは蔵の屋根(むこっかわ)だけ。
自衛隊の人が早川町にも300人程度派遣されたらしい。 (ここは2人同士言っていることが異なる)
こちらは夕食。
てんぷらは、山菜たっぷり。
鴨肉や、マグロinトロロが気に入った。
ゆば、もとてもおいしい。
そして大好きな三葉のお味噌汁も。
実は、泊まっているのは一組だけで、大分気楽。
ただし、お宿の人はいつもより大分と楽なようだ。
すごい日には、山登りの人達用におにぎりを1000個くらい作るとか。徹夜。
5月4日
ぐっすり眠り、6時頃に起こされたので、何事かと思ったら、 山のほうから「南無妙法蓮華経 ・・・ 」と聞こえてきた。6時である。
ちょっと頂上を出るのが早すぎないか?
こちらが朝ごはん。
鮭がとてもおいしかった。
脂たっぷり。
そして目玉が
山椒
蕗の薹
蕨
の山菜である。これらすべて大好物。
とても満足して、出発の準備に取り掛かる。
登山口を7:40出発。 50丁目まであり、1200mほど登る。(頂上までは1500mほど)
途中、「南無妙法蓮華経」と唱えながら下る団体を3組、登るものを追い越して、1組見た。
黙々と登り、やっと46丁目。ここで雪が残っているのを発見した。
そして、そこにある門。やっともうすこしで着くといって6回目くらいの休憩。
また少し登る。 ここで支柱に使われているのレールは、おそらく早川町に有ったトロッコからの流用であろう。
フーっと思って見回したらそこは49丁目。
6回目の休憩とお昼ご飯。ここで11:00。
登るのには、実に3時間20分を要した。
ここからはすこーし下って50丁目、敬慎院。
門から見ると大きい。
ここでも荷物を置いて、またお散歩へ。
こちらは、七板ガレ。
起源は分かっていないらしい。
見ている最中も、コロコロカリカリ崩れていた。砂煙が上がるようなものも頻繁。
この木もいつまでもつか。
そして散歩から戻ってきたら、偉そうな人が。
この人は、夜のお勤めで色々と読み上げている人だ。
そして意外なのが、お坊さんのフレンドリーさ。黙々と信仰に徹しているような感じかなと思っていたのだが、話しかけてくれたりだとか、ニコニコ、にこにこと出迎える様子とか・・・ とても意外であった。
上のスケジュールの写真で分かるとおり、夕食は5時。
もちろん精進料理である。
これがおいしい。山の上なのに、食材はきっちりしている。
(物資は簡易ロープウェイか人力で運び上げる。車では行けない。)
そして食べ終わってからもまだ明るいというのが不思議な気分。
富士山を眺めに。
実は、上総一ノ宮のある神社と、富士山、こちら、そして琵琶湖、出雲大社はすべて一直線上にあり、お彼岸には「ダイヤモンド富士」が見られる。 つまりはお察しの通り、この一直線上を太陽が通過するのである。
(ホントかな?)
綺麗でおとなしい姿である。
これが噴火するなど考えられない。
ここで説明されている本殿のなかで夕勤。
一時間ずっと正座、出来そうで意外と難しいことである。
こちらにとってはこれこそ修行であった。
5月5日
4:30に、デンデヶ太鼓がたたかれて、起きた。
朝。4:50。
ご来光(日出)を見に続々と人が集まってきたが、あいにくの曇り、見ることができなかった。
朝のお勤めは、パスできるので、がんばって覚えた本殿(撮影禁止)を書き出した。半分は工事中であったので、出来上がってからが楽しみである。
朝食。これも精進料理。
じょちらが間取り図。小さく見えて、相当大きい。
東一という広間に泊まったのだが、なんと10畳。
それが、この図のひとつの四角の大きさにあたる。
雨が降る予報になっているので、さっさと降り始めた。6:30
途中で実際に雨がパラパラし、ひやひやしたのだが、すぐ止んだ。
下についたのは8:30頃。2時間掛かった。
しかし、下りはとても足が疲れるので、がくがく。
羽衣橋
それから、滝を2つ眺めた。
ひとつ、面白い写真。
さてほっとして、車で帰路に。
これこそが早川橋。
途中にある気になっていた橋に寄ってもらった。
かなり古い。
隣では新たに橋を建設中。
切り替えも時間の問題である。
短くても、とても楽しかった。 ちょっと日本の変わった世界をのぞけた気がした。