ポストモダニズムという言葉について理解を深めていく。
まず、モダニズムの陳腐化から新しいものへの移行をしようとする動きのことである。
人々が一様に進歩を求め、新しい形態のものを求めている状態が長年続いたことが原因で同じ方向性を持ったものばかりになったため、嫌気がさしたということである。
つまり、設計内容よりも人々の生活やその環境が多いにかかわっているといえる。
なぜ世界的なモダニズム、ポストモダニズムの流れが各時代に発生したのかについて、まず日本の視点から見ていく。
日本は奈良時代から外国の産物の流入が存在し、ガラスなどの工芸品が多数出土または保存されている。しかしこれを見られるのはごく一部の貴族のみであり、平民はかなり時代を経てから輸入品に接点を持つようになる。ただこれはモダニズムといっても、ただ見たことのない新たなものを高級品として所持しているだけであって、自分たちの生活に深くかかわるわけではなかった。平民には輸入物と接するほどの金銭がなく、まったく関係のない世界であった。この状況に変化が生じたのは、江戸時代である。
江戸時代には鎖国が行われ、海外の物品に対する知識が全くと言っていいほど無くなった。また、国が長く続いてきたという自負もあり、和に関する関心が深まった室町時代から文化の、かなりの進化をみてきた。そのような状況で訪れた明治維新は、国民の身分差を大きく低減し、また開国によってさまざまなものが流入するようになった。
日々の生活に不満を持っていたために、金銭が入ると形態を変える動きが強まった。
長く海外のものに接していなかったひとびとは、強く輸入品にあこがれを持ち、それは
海外のものが最高の品質であり、完成品であるという誤解をした。知識のない平民は、余計にその傾向が強く、見た目から西洋文化という名の新しいものを取り入れていった。一旦途切れた交流の再開による、跳ね上がりである。初の転機であった。
次に訪れた転機は、関東大震災である。新しい、西洋のものが日本において必ずしも最適解ではないということを示されたのである。銀座の煉瓦街は地震に弱く、ことごとく崩壊してしまった。これはたまたま構造面が否定されたが、モダニズムから取り入れたものが最適解では無いというただの一例に過ぎない。
しかし、木造住宅も大多数が崩壊する中で、RC建築に関してはよい特性を示すものがあった。ここまでは見かけを重視して西洋文化を取り入れ、和風の見た目を除去したのみであった。しかし、RCという強い材料によって、長持ちさせるという視点が発生した。
それまでは地震で崩壊するのが前提で、日本の環境では施工しやすい木造が伝統的に選ばれてきたわけであるが、考え方に大きな変化が発生したわけである。
技術的な進歩により人々は自信をつけ、自然に呼応するのではなく制圧をするように変化した。この変化によって、モダニズムの土壌は完成したといえる。
自然を制圧するという見方は多くの貴族にみられる支配欲求と同じで過去への不満を持つ発展途上によく見られ、完全な成長をみると支配欲求が消える。
この流れは戦前の多くの旅館建築などにもみられるが、特に豪華で稀少な材料を用いて絢爛に仕上げる風潮のことである。
日本は第2次大戦中大きく生活を制限されたわけであるが、末期の空襲によって多くを失い、庶民がかなりの不足を感じることとなった。これが戦後の高度経済成長の原動力である。自然と呼応するなどという本来の伝統などよりもまず生活を再建することが急務であった。人々の3度目の転機である。復興は見た目からともいわれるが、戦後も同様であり、見かけこそが成長のあかしであるという風潮になった。
また、見かけを自由に操れるという、これも一種の支配欲求に打ったえかける技術が向上した。本来の意味でのモダニズムが戦後やっと日本にも訪れたわけである。
よく、従来にとらわれない見方が近代主義であるといわれるが結局のところ、
長く自然と呼応して発見されてきたその土地に合うものを捨てて、新たな造形に踏み込めるんだ という発展途上の思い上がりの成分が強い。
そもそも近代という言葉自体いまの主観に基づいているだけで、あてにならない。
モダニズムは、今現在の私たちは過去よりも発展していて、それがまったく正しいと思わざるを得ない時代の産物ともいえるであろう。
先ほども述べたが、支配欲求は発展途上で完全に安定したといいきれないときに発生するものであり、これは人々と接して入ればすぐにわかることである。
そして、完全な成長をみると支配欲求が消える。
というのもこれらは、例えば自慢する人をよく観察していればわかる。
自分の地位を褒めたたえたり、または他人を蔑んだりする行為は、自分の周囲からの承認に不満を持っているからこそ発生する、発展途上の特徴である。
完成された又は満足している人は、あえて周りと比較しなくても地位を保てるのである。
建築に置き換えたところのこれが、ポストモダニズムである。
常に周りと比較し、思い通りの造形を操り、自分たちの生活をより充実させようとしてきたモダニズムは、生活に不満が減り、新しいものを求めなくなることで収束する。

感情的側面から分析してきたが、ここで言葉の意味に問題が発生する。
モダニズムに限界を感じたことから発生したとされるポストモダニズムの意味も、
思い通りの造形をするという支配欲求に結びついてしまうのだ。
ただこれは少し今までと違う側面を持っていて、ずらっと並ぶ近代建築の中でいかに自己主張をするかという思想が含まれる。つまり、周りの建築を制圧するのである。
過去と比較して発展した技術力を誇るという成分が薄らいだのだ。

私はこのモダニズム・ポストモダニズムという二つの言葉をみていて、非常に疑問に思うことがある。
〇モダニズムが発生した理念と被っているようでは、まだポストではないのではないか。
〇この2単語は、過去と比較するかどうかという原意的なものでしか並立しないのか。

つまり、ポストモダニズムという言葉は、モダニズムという枠の中に納まる、少し違う成分をもった派生でしかないのではないか、という結論に至る。
たとえば隈研吾に関して考えると、表面的な木の装飾によって自然への親和を訴える。
しかし何の効果があるわけでもなく、周囲に比べて目立つためだけとも受け取れる。

現代の日本の建築は、過去との比較などはとっくに完了し、近代的が当たり前になっている。つまり、新しい建築の理念を失っている。

おおまかにまとめると、
モダニズムは、何か停滞があった後に台頭し、普遍性を増すとフェードアウトする。
そしてまた何かが停滞、または後退すると、人々の熱意がモダニズムを起こす。
つまり、建築の進化または分化はすべてモダニズムとともにあるということでもある。
コロナ後、今の停滞から明けて人々が復興にいそしむと、あらたなモダニズムの風潮が生まれるかもしれない。
つまり、ただ「モダニズム」という言葉が示すのは革新思想のことだけであり、ある時代の特定の変化を示すことはできないのだ。「ルネサンス」、「ゴシック」や「ポストモダニズム」等は一つの流れを示すものとしてある程度定義されているが、それらも「モダニズム」に含まれるものであり、言葉の性質が違うということを認識すべきではないか、と思う。

—————————-参考文献・参考体験—————————-
Lyotard, Jean François(1979) “La condition postmoderne”   訳:小林康夫(1986.6) 星雲社
近現代建築論 講義 (岡田哲史准教授,2020.10-)
ロシア~バルト三国旅行(2019.8.27-2019.9.15)
イタリア旅行